屏風ノ耳 (涸沢から屏風ノ耳を経て上高地まで) 2007年(平成19年)10月13日 |
メ モ | 北穂高岳から涸沢に下ったあと、しばらく紅葉を眺めてから涸沢ヒュッテのテラスを通り抜け、横尾への道を左に分けて屏風ノコルへ行くパノラマ新道に入る。前穂北尾根の西斜面をほぼ水平に横切るこの道の途中には、難所というほどのものでもないが、小さな尾根を巻いたり、ちょっとしたガレ場を通るところなど気の抜けないところが何ヶ所かあるので注意が必要だ。紅葉した樹林の中の道を少し進んだだけで、眼下に涸沢谷の中の横尾への道を見下ろすようになる。振り返れば穂高の峰々に囲まれた涸沢カールが一望できる。曇っていた空は再び晴れ始めており、遠くに槍の穂先も見えてきた。 樹林の中の巻き道から不意に明るい尾根道に出るとしばらくで屏風ノコルに着く。紅葉に包まれたコルからは穂高の峰々や南岳から槍ヶ岳へと続く雄大な山並みを眺めることが出来た。コルにリュックを置いて空身で屏風ノ耳に登る。結構急な道を登って行くと岩が重なり合った眺めのよい斜面にでる。多くの人が写真を撮っていたが、その中を素早く通り抜け、小広い平坦地を過ぎて一登りすると目の前に耳が現れる。そこから少し下って登り返すと三角点のある屏風ノ耳の頂だった。 すっかり晴れ渡った青空を背景に、槍ヶ岳から大キレットを経て穂高連峰までの大展望が開けるこの屏風ノ耳からの眺めは素晴らしいの一言に尽きる。それは今回の山歩きのフィナーレを飾るのに相応しいものだった。眼下には、まるで航空写真を見ているかのような涸沢谷が眺められた。雄大な眺めに満足してからコルに戻る。 コルで少し休憩してから徳沢目指して帰途につく。コルから新村橋までの道は特に問題のあるところはなく、新村橋経由で徳沢に着いたのは午後2時過ぎだった。下る途中で井上靖の小説“氷壁”のモデルとなった“ナイロンザイル事件の原点の地”と書かれた記念碑があった。かの有名な奥又白池へはこのあたりから登るのだろうか。徳沢から上高地に戻り、バスで沢渡の駐車場に帰り着いたのは午後の5時頃。駐車場の近くの温泉で疲れを癒してから帰途についたのは6時頃で既にまわりは暗くなっていた。往路を戻って家に着いたのは11時半だった。 |
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行 程 涸沢 ↓ 屏風のコル←→屏風ノ耳 ↓ 奥又白池分岐 ↓ 徳沢 ↓ 上高地
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天 候 12日:晴れ時々曇 13日:晴れ時々曇 |
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(気象庁 : 過去の天気図) | ||
涸沢テントサイト付近からの屏風ノ頭と耳。 | ||||||||
涸沢から紅葉の屏風ノ頭と耳を見る。 | ||||||||
涸沢ヒュッテからパノラマ新道に入る。 | ||||||||
涸沢と北穂高を振り返る。 | ||||||||
北穂高岳。南陵上の道が見えます。 | ||||||||
槍の穂先も見えてきた。 | ||||||||
少しいやな感じの道。屏風ノコルまでは何ヶ所か気を抜けないところがある。 | ||||||||
パノラマ新道から見た横尾本谷上部と槍ヶ岳。雲も切れて青空が広がる。 | ||||||||
穂高方面も晴れてきました。 | ||||||||
屏風ノ耳(右のピーク)が近くになってきました。 | ||||||||
黄葉の道。屏風のコルはもうすぐ。 | ||||||||
屏風ノコル近くの稜線を行く。 | ||||||||
屏風ノコルに着きました。 | ||||||||
屏風ノコルからの槍ヶ岳。 | ||||||||
屏風ノコルから見た涸沢と穂高連峰。 | ||||||||
屏風ノ耳はもうすぐ。 | ||||||||
屏風ノ耳からの槍ヶ岳。 | ||||||||
槍ヶ岳遠望。 | ||||||||
屏風ノ耳からの涸沢と穂高連峰(ここをクリックすると拡大されます)。 | ||||||||
屏風ノ耳から涸沢谷を見下ろす。まるで航空写真のようです。 。 |
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涸沢をズームアップ。 |
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振り返れば常念岳。 | ||||||||
その右に蝶ヶ岳。蝶ヶ岳の麓は横尾。 | ||||||||
徳沢目指して下山開始。 | ||||||||
屏風ノコルを振り返る。 | ||||||||
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ナイロンザイル事件の原点の地のケルン。 | ||||||||
常念岳を仰ぎ見る。 | ||||||||
奥又白谷下部から北尾根を振り返る。 | ||||||||
林道を新村橋に向かう。 | ||||||||
新村橋を渡って徳沢へ。 | ||||||||
徳沢付近から屏風ノコルを振り返る。 | ||||||||
明神館からの明神岳。 | ||||||||
帰途、沢渡の温泉に寄る。 | ||||||||
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