大黒天神岳・五大尊岳
2023年(令和5年)10月3日


 メ モ
この7月下旬に、大峯奥駈道最南部の未踏部分である熊野本宮から大水ノ森までを歩こうとしたが、記録的な暑さに参ってしまい、本宮から山在峠までで切り上げて、また涼しくなったら出直すことにしたのでした。そして10月になってようやく30度以下の日が続く見通しとなったので、2ヶ月越しの懸案を実行に移すことにした。
3日の午前1時半に家を出発、高速で五條まで行き、五條から国道168号を南下する。平日の深夜なので行き交う車はなく、順調に走って午前4時に道の駅”奥熊野古道ほんぐう”に到着した。そこで1時間ほど休憩してから早めの朝食を取って山在峠に向かった。
切原から先の峠までの道は狭く、落石や木片が散在しており、途中で車を降りて除去が必要なところもあったが、なんとか午前5時20分ごろに無事峠に着いた。明るくなるのを待ってから支度をして午前5時50分に、果たして予定どおり歩き通せるのか不安を胸に抱きながら出発しました。


行 程


山在峠
↓↑
大黒天神岳(第5靡)
 ↓↑ 
金剛多和(第6靡)
↓↑
五大尊岳(第7靡)
↓↑
岸ノ宿(第8靡)
↓↑
大水ノ森


距離     : 14.9km
最大標高差:  780m
累積標高  : 1,236m




 
天 候

晴れのち曇り

 (日本気象協会tenki.jp : 過去天気)


山行記録

午前5時20分に山在峠に到着。約2ヶ月ぶりです。
明るくなるのを待って午前5時50分に出発する。

大水ノ森までは8kmほどある。
6月初めの野谷荘司山以来、長距離は歩いていないので少し不安です。
まずは大黒天神岳まで標高差300mの登りです。

少し行くと石塔があった。宝篋印塔というものらしい。
背面には享和三癸亥正月と刻まれている。西暦でいうと1803年。
220年前のもののようです。
(マウスポインターを画像に重ねると背面の写真)

奥には行者堂もあります。
奥駈道は行者堂の左の奥へ続いています。

少し行くと西側が開けていました。

まだ日が差さず眠っているような風情です。

林の中の道を緩く登って行きます。

行く先が明るくなってきました。

峠から30分ほどで崩壊地に出ました。
上には送電塔が見えます。

崩壊地からは東の眺めが開けていますが、左端に見える甲森以外の山はさっぱり分かりません。
ただ、今のところはいい天気でよかったです。

 
崩壊地を慎重に抜けたあと、
頭上に見える稜線までつづら折りに登って行きます。

 
右にはP530と思われるピークが見えます。
その左の稜線上に建つ送電塔は、先ほど崩壊地の上に見えた送電塔から続くものです。

稜線に乗って進んで行くと先ほど見えた送電塔が建っており、
そこからは西の彼方に連なる果無山脈が見えた。左奥に主峰の冷水山も見えています。
果無山脈をこのようにはっきりと見るのは初めてで、また登りたい山が増えた気分です。

P530を越えて平坦な道を進んで行きます。

やがて大黒天神岳に向かって標高差70m足らずの登りが始まります。

登り終えてしばらく進むと山頂です。

午前7時5分に、第5靡大黒天神岳に到着です。
樹林に囲まれた狭い山頂には、二等三角点と靡の立札がありました。
ここまでで少し汗をかいたので、薄手のシャツに着替えて午前7時15分に出発。

緩く下って行きますが、結構長い下りでした。

途中に水場があるようですがパスしました。

午前7時30分に第6靡金剛多和に着きました。
役行者像の前は広場となっていて、将に行場そのものでした。

拙い般若心経を唱えてみました。
既に一ノ多和と舟ノ多和は訪れているので、これで大峯奥駈道の多和は完結です。

次は五大尊岳までの標高差400m弱の登りです。

緩やかに10分ほど登って行くと”松茸採取禁止”の看板がありました。
ここまで盗りに来る人がいるんですね。

P609手前は少し急な登り。

午前8時10分にP609。
特に何もないので先に進みます。

 
P609の少し先で樹林が途切れて南の眺めがありました。
手前に越えてきた大黒天神岳が大きく見えます。その右の鞍部は金剛多和と思います。

 
遠くには大塔山(左端)や法師山(中央)、野竹法師・ゴンニャク山(右端)が見えます。
写真では分かりにくいが下向橋も見えています。

 
やがてロープが張られた200mの急登が始まります。

ロープは断続的に7、8箇所張られていました。

登りではそれほど必要性はなかったが、
下りの時は重宝しました。

 
午前9時5分に五大尊岳南峰に到着。
ここには何もないようなので先に進みます。

ドンドン下って行きます。

下ったあとは登り返します。

急登が終えて痩せ尾根を辿って行くと五大尊岳です。

午前9時15分に五大尊岳北峰に到着。不動明王が祀られている。
標高は780mほどで南峰よりも低い。

しかしこちらが第7靡となっている。
時刻は午前9時過ぎで、この調子では11時ごろには大水ノ森まで行けそうなので、
10分ほど休憩してから先に進むことにした。

下る途中で大塔山が見えました。

午前9時40分に大水ノ森との鞍部に着く。
鞍部の標高は740mほどで、大水ノ森との標高差は約300m。
なかなか厳しいです。

ここにもロープの急登が・・・。

ドンドン登って行きます。

登りついたところはP853。

P853から先は平坦な道を歩いて午前10時10分に切畑辻に着きました。
特に何も無いようなのでこのまま稜線を進んで行く。

 
途中で果無山脈が大きく見えました。
これまでと違って稜線の踏み跡が薄いので少しおかしいなあと思ったが、そのうち右からの巻き道と合流した。
稜線は奥駈道ではなく、巻き道が正解でした。どうやら切畑辻で見逃したようだった。

 
巻き道と合流したあと、少し行くとP868への登りが始まる。

標高差は50mほどだが、またまたロープが張られた急登です。

午前10時30分にP868。

さらにその先もロープの急登が続く。

ドンドン登ります。

午前10時50分ごろに急登も一段落。

   
あとは大水ノ森まで標高差80mほどの緩やかな登りとなる。

午前11時5分に大水ノ森に到着。5月12日以来5ヶ月ぶりです。
これで本宮から行仙岳までが繋がりました。

疲れも出てきたので、ここで昼食を兼ねて大休止します。
この山頂も樹林に囲まれて展望は利かなかったが、今はそんなことよりも無事辿り着けたことで十分だった。
しかしまだ行程の半分が終わったところで、下りも気を引き締めて行かないと・・・。

大水ノ森で30分ほど休憩してから下山開始。
ロープの道を急降下して行きます。

P868を越えて急降下が終わったあとは
往路の稜線上ではなく巻き道を進んで行く。

切畑辻に近づいたところに第8靡岸ノ宿がありました。
登る途中で見かけなかったのでおかしいなあと思っていたのがこれで解決しました。

ここは篠尾辻とも書かれています。

 
切畑辻と篠尾辻は同じところなのだろうか。
また、岸ノ宿の正確な場所は不明らしいが、何故ここを靡としたのだろうか。
よく分からないことがあります。

P853から下ったあと五大尊岳へ登り返して行きます。

 
午前12時55分に五大尊岳に戻る。

山頂からの展望はなかったが、なんとか樹林の間から大水ノ森らしき山を認めました。
自信はありませんが・・・。

これは大森山から東に続く稜線上の甲森と思います。

 
五大尊岳を下って行きます。

その後登り返して南峰を通過。

次は金剛多和までの400mの下りです。

午後2時30分に金剛多和に下り立つ。
さすがに疲れたので、ここでエネルギーを補充します。

 
金剛多和から登り返して大黒天神岳。

 
大黒天神岳から下りP530を越えて山在峠に向かいます。
P530の右遠くの尖峰は甲森。

山在峠の宝篋印塔まで戻ってきました。
ヤレヤレです。

 
朝は気がつかなかったが、行者堂には役行者像がありませんでした。

220年の歴史の重みをもつ宝篋印塔。

 
午後4時5分に山在峠に戻ってきました。
久しぶりに10時間を超える山行となりましたが、無事戻って来ることが出来たのが何よりです。
このあと服を着替えて午後4時半に今日の宿のある熊野に向かって出発しました。

下向橋から今回の山行で歩いた山々を眺める。
マウスポインターを画像に重ねると山名などが表示されます(間違いがある場合はご容赦ください)



コースタイム
往 山在峠(5:50)−大黒天神岳(7:05-7:15)−金剛多和(7:30)−五大尊岳(9:15-9:25)−切畑辻(10:10)
  −大水ノ森(11:05)
復 大水ノ森(11:35)−岸ノ宿(12:10-12:15)−五大尊岳(12:55-13:10)−金剛多和(14:30-14:40)
  −大黒天神岳(15:05)−山在峠(16:05)

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