| 大峯 小池宿(第31靡) 2025年(令和7年)12月2日 |
| 午前6時45分に林道ゲート手前の駐車地を出発し、苦手な林道を歩いて7時20分に小仲坊に着いた。 オフシーズンの平日のことで人の気配はなく静まり返っていた。 |
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| まず行者堂にお参りして入山に際してのご挨拶と安全祈願。 |
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| しばらく休んで、誰もいない静かな山間の雰囲気を味わってから宿泊所の裏側に回る。 |
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| ロープを跨いで森の中に入って行きます。赤いテープが目印。 |
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| すぐ涸沢に下り、ゴロゴロした岩の中を通って対岸に移る。 |
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| 対岸に移ったあと沢に沿って登って行くと道標がありました。 |
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| 道標から先は、はっきりとした踏み跡を辿って行きます。 |
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| 少し行くと岩が二つ見えてきました。 |
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| 二つの岩の間を抜けたところです。 小池宿にはここで右に折れて行くのが通常のルートですが、見過ごして真直ぐ行ってしまいました。 |
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| 真直ぐ行くと墓地に出ました。 |
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| その左下の方にも墓地があり、確か明治三十何年と彫られた古い墓石もありました。 このあとさらに下の涸沢まで行きましたが踏み跡らしいものは見られなかったので、 取り敢えず墓地の入口まで戻りました。 |
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| 墓地の入口にあった二つの岩の手前に左に分かれる踏み跡を発見。 (小仲坊から来たときは二つの岩の間を抜けたあと右に折れる踏み跡) |
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| 踏み跡を辿って行ったが、途中で多くの踏み跡(?)が交差するようになり訳が分からない状態になった。 ふと左下の沢の方を見ると黒い取水パイプが張られていたのでそれに沿って進んで行く。 この墓地の手前の分岐から取水パイプのところまでのルートが今回の山行で唯一不明瞭なところでした。 |
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| 黒谷の源流域に張られたパイプに沿って進み、倒木のあるところで右岸に渡る。 |
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| 右岸に移ったあと沢に沿って登って行くと道標がありました。 |
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| 小池宿跡への道標です。ここから大峯奥駈道上の石楠花岳から派生する尾根上にある P1170(仮称:国土地理院地図には記載なし)までの登りが始まります。(P1170取付点としておきます) 午前8時10分、標高差約300mの登りの開始です。 |
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| 岩の上に生えた木の方向に斜面を巻きながら登って行きます。 |
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| 少し登ってP1170から延びる尾根に乘ります。ここで右に折り返すように登って行きます。 |
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| 下って来た時に直進してしまわないように道標が設けられていました。 |
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| 根っ子が犇めく尾根の急登が始まります。 |
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| 踏み跡を拾いながら急登を続けます。 |
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| 所々に年季の入った大木があります。 |
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| 標高が1000mを超えました。 |
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| 倒木が多く歩きにくいところが多い。 |
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| 急登を続けること1時間ほどで前方が明るく開けてきました。 |
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| 標高1100mを超えたところの展望地です。釈迦ヶ岳方面の眺めが広がる。 左から蘇獏岳、大日岳、釈迦ヶ岳、孔雀岳。 蘇獏岳から右に下る尾根は10日前に歩いた閼伽坂尾根。右に平らなP1185。 |
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| 大日岳と釈迦ヶ岳。釈迦ヶ岳の手前に10日前に登った千手岳が見える。 |
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| 孔雀岳と五百羅漢 |
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| しばしの間大観を楽しんでから先に進む。 |
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| 午前9時25分にP1170着。広々としたところです。 |
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| 振り返れば釈迦ヶ岳方面の眺め。さきほどの展望地の方がスッキリしています。 |
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| 小池宿への道標がありました。ここで左折。 |
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| 小池宿に向かいます。 |
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| 尾根を進んで行くと前方が異常に明るい。 |
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| 行ってみるとそこは崩壊地でした。旧黒谷峠へは崩壊地に沿って下って行きます。 |
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| 旧黒谷峠と道標。ここで右折して池郷川の源流地帯へ下って行きます。 |
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| 始め少しつづら折りに急降下したあと、落ち葉に埋もれた涸れた沢を下って行きます。 |
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| それほど荒れた感じはしない谷の下りです。 |
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| 二俣を過ぎて下って行くと傾斜も緩くなり前方に開けた平坦地が見えてきました。 沢筋と別れて右方向へ進んで行きます。 |
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| やがて池郷川の源流に出会いました。 |
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| 今は渇水期のため水量は少なく、苦もなく右岸に移ります。 |
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| 流れに沿って少し行くと道標がありました。 |
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| 薄い踏み跡を辿って行きます。 |
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| 少し大きな池郷川の支流を横切って行きます。 |
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| 横切った先はかなり開けた平坦地が広がっていました。 その一角に立つ案内板。どうやら小池宿跡に着いたようです。 |
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| 午前10時10分。小池宿跡に到着しました。 |
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| 靡看板の下には西行の詩。 現在の奥駈道から遠く離れたこの地に何故小池宿があるのかという疑問は当然出て来るが、 昭和初期以前では子守岳や奥守岳あたりは人の背丈を超す篠の密林で覆われていて道など全くない状態で、 修行者は乾光門あたりから稜線を避けて小池宿に向かったのではないかとの説があります。参考までに。 |
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| 小池宿のお堂の跡とされている基礎石はシダなどの草に覆われてしまっていた。 その中にお札が埋もれていました。 |
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| すっかり葉を落とした木々が立ち並ぶ開けた平坦地に初冬の明るい日差しが降り注ぐ。 今日はこの季節としては暖かく、標高1000mのこの地でも寒さを感じない。 |
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| お堂跡の背後は奥深い山中では珍しい開けたところです。かつてはいろいろな施設があったのかも知れません。 静寂に包まれた小池宿跡で30分ほど過ごしてから帰途につきました。 |
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| 戻る途中、往路では気がつかなかった石碑のようなものを見ました。やはり歴史のあるところなのでしょう。 何か文字が刻まれていたと思いますが、知る由もありません。 |
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| 池郷川を渡って行きます。 |
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| 割と楽に下って来た涸沢も登りはやはりしんどいです。 二俣は右へ行きます。 |
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| 稜線が近づいて来ました。 このあと下って来たところとは違うところを登ってしまいましたが、何とか尾根に乗りました。 |
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| 旧黒谷峠に到着です。 |
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| 午前11時30分にP1170に戻りました。 |
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| 少し雲が増えてきましたが、相変わらず釈迦ヶ岳方面が見えています。 |
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| 展望地まで下ってきました。 |
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| 蘇獏岳から孔雀岳にかけての眺め |
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| 釈迦ヶ岳と手前に千手岳 |
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| 千手岳を拡大 |
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| 下りも倒木を乗り越えて・・・。 下りでは1ヶ所、緩く左方向に行くところを直進してしまって引き返すことがありました。 踏み跡を当てにせず、GPSの軌跡や赤テープを確認しながら下ることが大事です。 |
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| 東の方に台高山脈が見えました。左に大台ヶ原方面、右にマブシ嶺。 |
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| 左にマブシ嶺、右は中ノ嶺や竜辻かな。中央手前は孔雀岳から続く尾根上の小峠山でしょう。 |
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| 尾根の先端まで来ました。ここで左に折り返して下って行きます。 |
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| P1170取付点近くの岩を抱き込む逞しい木 |
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| 午前12時30分にP1170取付点に戻ったあとは黒谷の源流を渡って取水パイプに沿って下って行く。 |
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| 途中でパイプから離れて往路を戻ろうとしたが、いつの間にか踏み跡を見失ってしまった。 なんとか正規(?)の踏み跡に合流して墓地入口の二つの岩の手前に出たが、 あのまま取水パイプに沿って進めばよかったのだろうか。このあたりだけが今回の不明瞭な部分でした。 |
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| 12時50分に何とか無事小仲坊に戻ってきました。 |
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| 行者堂に報告とお礼をしておきました。 |
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| 小仲坊をあとにして林道を駐車地へ向かいました。 かくして最後の靡、小池宿行は無事終わりました。75靡巡りはこれで完結です。 |
| コースタイム |
往 前鬼林道ゲート(6:45)−小仲坊(7:20-7:30)−P1170取付点(8:10)−展望地(9:10-9:20)−P1170(9:25) −旧黒谷峠(9:35)−小池宿(10:10) 復 小池宿笙ノ窟(10:35)−旧黒谷峠(11:20)−P1170(11:30-11:35)−展望地(11:40-11:50) −P1170取付点(12:30)−小仲坊(12:50)−前鬼林道ゲート(13:20) |